Now You're Not Here


先週はあちらこちらに桜が舞っていてとてもきれいでしたね
ここ数年は、いわゆる桜名所でのお花見よりも
いつも歩いている風景にぽっと舞い込んでくる桜の花びらだったり
よく行く公園にある一本の桜の木を眺めているほうが好きだったりします

あいにく今日は雨でしたが、
そのせいか、少し色がくすんで見えたのは気のせいでしょうか



先日、宮田繁男さんがお亡くなりになり
今日は最後のお別れをしてきました

涙の量ほど底知れぬものはないのかもしれない、そう思いました

でも仲間と会えて本当によかった、心が救われました

きっとみんながそうお互いのことを思ったように




宮田さんと出会ったのはまだ私が大学生
もしくは大学を卒業したてくらいの頃

当時はまだ歌う場所も、仕事といえる仕事もありませんでしたが
でも幸いご縁のある方々から声をかけてもらったりして
サークルでしか歌ったことのない私の音楽キャリアが
少しずつ拓いていっているようなそんな時期でした

同時にNoa Noaのフィーチャリングヴォーカリストとしても
ライヴやレコーディングに参加させてもらいはじめ
アルバムを出す出さない、みたいな話もしていた時期だったと思います

どんな経緯だったのか詳しく覚えていませんが
宮田さんと会う機会が訪れたのは
彼がNoa Noaの音をとても気に入ってくれて
話が進み、ライヴサポートをしてくださるという流れになってから

私はそのころ
今まで聞いてきて歌ってきたアメリカのR&Bやソウル、ゴスペルの歌い方と
Noa Noaの楽曲で要求されていた、もう少し抑え気味の歌唱とのギャップに
正直とまどっていて、どんなふうに歌えばいいのかわからずにいました

こんなに下手だったっけ、こんなにダサイ声だったっけ
って録音を聞きながら何度も思っていたし
でも周囲の持つイメージ(っていうほどのものでもないけど)に
なぜか自分のプライドも乗っかって、問題を直視できないばかりか
人の楽曲に、私は私の歌いたいように歌う、なんて生意気なことを言い
もらうアドバイスに対しては、考慮もせず、ただ不機嫌になって
場の空気を悪くしているばかりでした

そんなころに会ったのが宮田さん

オリジナルラブやピチカートファイヴも全く何も知らず
どこまですごい人なのかも全然理解しておらず
初対面でため口で話しかけ(ゆえに周りをひやひやさせ
しまいには勝手に「みやたっち」とあだ名をつけ
リハーサルでもおそらく数えきれないくらい失礼をしました

でもそんな私に、
宮田さんが、出会った時からいつも何度も言ってくれていた言葉は
「ちーちゃんは声がいいんだよ、声が」でした

誰かに紹介してくれる時も、必ずその言葉を添えてくれました

それまでは「歌上手だね」と言われることはあったものの
声そのものをそんなふうに言ってくれることはなくて

小娘の自分勝手な思い込みのスランプだったとはいえ
その時は本当に心から勇気と元気がでる言葉でした

「きっとわたしにしか歌えない歌があるはずだ」と思わせてくれたのは
そしてわたしが今もそんなふうに信じていられるのは
彼がそんなふうに言い続けてくれたことがとても大きいです



私にとって、宮田さんは
ただのドラマーやプロデューサーではなく
なんだかお父さんのような存在でした

もちろん彼の叩く音や、楽曲はたくさん思い出せるけれど
それ以上に脳裏に焼き付いているのは、そうじゃない風景ばかりです

恋愛相談もたくさん乗ってもらって
失恋したら、「じゃあ、話聞いてあげるよー」って言ってお酒飲んだりして
彼氏ができた時には、真っ先に紹介しにいきました

私が何を言っても、あはははと笑ってくれて
会話に出たアーティストの名前を私が知らないと、
ちょっとしゃくりあげるように笑いながら
「え~、ちーちゃん、知らないの~?」
って言ってもっと詳しく教えてくれたり、CD貸してくれたり
ソウルバーめぐりを計画してくれて、またたくさん音楽を教えてもらったり

今でもその当時よく聴いていたThe Isley Brothersの曲が流れると
あの時に連れていってくれたバーや、交わした会話などを思い出します


サポートをしてもらう機会が減り、会う機会もあまりなくなってしまっても

やっぱりなんだか歌は聴いてもらいたくて
ここぞというライヴがある時には
「ちょっとみやたっちにライヴ見てもらいたいんだ」って言って連絡して
見に来てもらっていたのが、ここ数年のことでした


あの時よりも、もっともっと歌えるようになったよ
こんなこともできるようになったよ
ほら、また一緒にできたらいいね


そんな気持ちでいつも誘っていました

去年、はじめて弾き語りをやろうと思った時もそうで
「あのちーちゃんがギター弾いてる!」って驚かせたくて誘ったけれど
その時くらいから体調を悪くされていたようで
残念ながら聴いてもらえることはできませんでした

入院中に送ったメッセージで
「また一緒にライヴしようね~」って書いたけど
どんなふうに思ってくれていたんだろう




今はまだ
彼の声が頭の中で再生されると、泣きそうになるけれど

涙の量と同じくらい笑顔も生み出せるよう
がんばるしかないなと、それしかないなぁと
そんな思いでいます



みやたっち、
どこかで再会することがあれば、
また美味しいお酒飲みながら、いい音楽聴きながら、私のはなし聞いてね

本当におつかれさま、そしてありがとう


*Chihiro*

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